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第二回 技術部ホームページ企画

 4月に入った東京は、つい先日まで雪が降っていたとは信じられないくらい暖かく、新緑とともに新入生を迎えた学内は大変にぎやかです。今回はHP企画、第2回「教員インタビュー」として平尾研究科長インタビューを掲載します。平尾研究科長はこの4月で在任2年目を迎え、研究科の改革に取り組んでおります。技術部に関しても田中技術部長とともに積極的に推進しています。インタビューでは、先生のご経歴、大学の状況、技術職員の将来などについて伺いました。このインタビューが、技術職員のみならず多くの方々の目に触れ、研究科の推進する改革の意味を理解する上で少しでもお役に立てれば幸いです。インタビューに関するご意見ご感想、また研究科長宛のご意見などを情報センターまでお寄せ下さい。

注)写真は一部を除き本文とは関係のないイメージ写真です。

平尾研究科長インタビュー

1.ふるさと
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 生まれは四国の新居浜です。工業が盛んな町で父は住友化学に勤務していました。5〜6才頃に父の関係で三重県の四日市に引っ越しましたが、小学校3年で新居浜に戻って高校まで過ごしました。中学、高校では陸上競技の短距離、100mと200mをやっていました。結構速かったんですよ、オリンピックを目指すか学問の道に進むか真剣に悩んだ時期もありました。


2.学生から助手時代
 大学は京都大学に進学しました。日本で最初に化学でノーベル賞を受賞された京大の福井謙一先生の門下でした。理論化学は、昔は紙と鉛筆があれば良かったのですが、今はコンピュータも使います。大学に入ったのは、ちょうど大学闘争で大変な時期でした。今ふり返ると大学院で過ごした5年間で、真面目に学問をしたのは3年位だったような気がします。卒業後カナダにいましたが、先輩の紹介で滋賀医科大学医学部の助手になりました。研究職ではなかったので化学の学生実験なども担当しました。その後名古屋大学教養部に移りました。


3.名古屋大から東大へ
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 名古屋大には助手で入って教授まで10数年お世話になりました。名古屋大に限らず教養部は多くの問題を抱えていましたので、廃止しようという運動が80年代後半に全国の大学で起こりました。私も当時教授という立場でしたので、教養部の改組に取り組みました。新設医科大の助手から大学の組織改組まで多くの経験をさせていただいて、大学を下から支えるという立場から大学を見ることが出来ました。名古屋が大変気に入っていましたので、名古屋に落ち着くつもりで家を購入しました。しかし評議員になってしまい、あまりの忙しさにもう研究は出来ないと覚悟していました。その頃、同じ研究分野の仲間達が「平尾にもう少し研究をさせてやろう」とあちこち探してくれまして、93年に東大に移ることになりました。これがなければ私の研究生命は10数年前に終わっていたかもしれません。東大では非常に良い研究環境を与えていただいて、この10年間である程度の仕事も出来ました。ですから東大には大変感謝しております。今回研究科長になりましたので少しでもその恩返しが出来たらと思っています。

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4.趣味
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 趣味はバッハ・ゴヤ・ドラゴンズでと答えることにしています。バッハはご存知のように音楽のバッハですね。ゴヤはスペインの画家で、ドラゴンズは野球です。ゴヤが好きなので、どこにあるのか探していろいろなところに行きました。マドリッドにプラド美術館がありますが、私はそこに行きますと何時間見ていても飽きません。1枚のゴヤを見るために列車に乗ってスペインの小さな田舎町を訪ねたこともあります。もしスペインからの招待があったら、絶対に断りませんよ。ヨーロッパでは美術館もそうですが博物館なども大変充実しています。休日に子供達がお父さんやお母さんに連れて行ってもらう、そんな社会が持っている教育力が日本に比べるとすごいと思います。日本も時間をかけてそのような力を高めてゆくという視点が重要ではないかと思います。日本でも少しずつ出来てはいますが、入れ物ではなく中身の充実に努力しなければいけませんね。


5.技術職員とのかかわり
 理論化学は実験系ではありませんが、いろいろなところで技術職員の方にお世話になりました。学生時代にもお世話になりましたが、実際に仕事で関わるようになったのは留学先のカナダ時代からです。向こうの技術職員は専門別のショプを持っています。例えばガラス加工ならガラスショップ、機械加工なら機械ショップに仕事を依頼します。我々は、図面で相談をしたり、作ってもらったりします。彼らを含めて研究を支えるスタッフの体制が非常に充実していて素晴らしいと思いました。滋賀医科大学では助手として実験を担当しました。それまで実験はあまり経験がなかったので、独学で学びながらやりました。名古屋大学では教養部でしたので講義もしましたが、たくさんの学生と化学実験をやりました。その時に技術職員の方と一緒に仕事をしましたので、彼らの持つ様々な問題を理解することが出来たと思います。あちこち行ったので大変だろうとよく言われますが、どこにも素晴らしい人がおられて、その人達にお会いすることで人生を長く生きられたと、大変感謝しております。


6.研究科長職
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 研究科長は概ね想像通りでしたが、正直に言って激職です。肉体的、精神的にタフでないと勤まらないです。研究科が大きいこともあって多種多様な仕事と判断に迫られます。いろいろな大学を経験してきましたが、東大ほど部局自治が強い大学はないです。場合によっては障害にもなることもあるかも知れませんが、それが東大の良さです。会議が非常に多いので時間の使い方を何とかしたいと思っています。昨日も教授会と専攻長会議があって午後2時から始まって終わったのが夜の11時半です。今大学で一番の問題は時間の劣化だと思います。予算やスペースが足りないのは工夫したり努力する余地がありますが、時間だけはどうしようもありません。24時間をいかに使うかということです。東大の教員は教育・研究以外で時間を取られることが非常に多いので、それぞれの組織で時間劣化を防がないと教育・研究にかける時間が取れなくなってしまいます。大学によっては教授会を廃止したり、年に数回しか開かないところもあります。工学系研究科では今の会議の体制を変えるつもりはありませんが、いかに効率良く時間を使うか考えたいと思っています。東大といえどもそれぞれの現場が元気でないと全体が活性化しません。かつてのように中央集権的に上から言っても駄目です。個々が活性化することによって全体が活性化するのが大学の在り方じゃないかなと思います。部局で競走しても良いですし、協力してやるのも良いでしょう。個別に見ても素晴らしい方がおられますから、我々執行部は自分のことはあきらめてでも、それらの人たちの教育・研究をバックアップするのが役目だと思っています。

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7.法人化
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 法人化に関しては、私はまだ結論を留保したいと思います。東大は多分うまくやれると思います。でも東大のようにやれる大学は全国にいくつあるでしょう。法人化というのは、学問の自由とか大学の自治というのをきちんと守りつつ、運営に関しては自分達で責任を持ってやりなさいという理念だけなら良いことだと思います。しかしお金は政府から来る訳で、それがどんどん減ってゆくのでは運営して行けない。人件費は自然増ですから、運営費交付金がどんどん減って、人件費だけで予算の8割という大学が今でも随分あります。そうすると一般的な基盤経費がどんどん減ります。今は競争的資金が増えていますから、それで何とかできる大学は良いのですが、日本全体で見れば法人化は決してプラスではなかったと思います。


8.技術部構想
 大学にとっては教育、研究というのが大きな目的になっています。大学にはいろいろな層が集まっていますが、それぞれの層が力を合わせないとやって行けない。教員だけが元気でも困ってしまう訳です。東大から良い人材を輩出しようと思えば全ての層が同じ想いで活動に参加していただけないと上手く行かない。私の正直な感想を言うと、現状は技術職員の方々が持っている能力を充分発揮できない体制だと思っています。名古屋大学で技術職員の方々と仕事をしてきましたが、技術職員の方々が熱心に一生懸命仕事をしても、それが報われる体制になっていない。恐らくそれは東大でも同じであると思います。個々の人たちの持っている熱意や能力を、もっと発揮できる仕掛けや体制を作らないといけない。体制が悪いなら変えなければと思っています。技術系職員の方々がひとつの組織を作ることによって、各々の職場で孤立しないような状況にしたいと思っています。孤立していると、先生や研究室が変わるような時に、次の職場を探すことが非常に困難です。ですから私が研究科長になってから「研究室だけに所属して仕事をする技術職員の採用は認めない」と専攻長に宣言しました。専攻全体や研究科共通の仕事もやる人を採用する方針です。技術職員のために良い提案があれば実現の努力をしますので、積極的に提案して欲しいと思っています。ただ急に全てを変えることはできませんし、時間もかかります。しかし全体の流れははっきりしています、工学系研究科も大学全体もその方向に行こうとしています。工学部は専攻数も人も多いので難しい面があります。全員が納得するまで議論してということでは、いつまで経っても変わりません。可能なところから動かして行きたいと思います。事務部も現在改革プランを進めています。17年度から事務部長も副研究科長に就任しいていただいて、3人の副研究科長体制で執行部を運用することにしました。教員以外の職員も参加する執行部がスタートします。工学系研究科の技術部についても、田中技術部長と企画委員会で良く検討していただいています。新たに立ち上がるワーキンググループにも期待しています。


9.夢の持てる職場
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 大学はいろいろな人が集まっていますが、組織のトップは全部教員です。しかし全ての組織の長が教員である必然性はないと思っています。例えばセンター長であるとか図書館の館長であるとか教員である必要はないし、長くその部署に関わってきて経験のある方が長になるべきです。そうすれば技術職員の方たちも将来や人生に夢を持って仕事に取り組めるのではないかと思っていますし、全体にとっても良いことだと思います。これまでそのような配慮が大学には欠けていたと思います。このことは小宮山次期総長とも話をしていますので、前向きに検討していただけると思います。ただ、すぐ実現できる訳ではありませんので、少し長いスパンで見ていただければと思います。

10.技術部ホームページ
 技術職員に関する情報を公開して、掲示板のように自由に意見を交換できる場を提供していただきたい。技術職員だけではなく全ての職種の方と交流して、活発な議論が始まって欲しいと思います。大いに期待していますので、良いホームページを作ってください。

2005年2月25日 研究科長室にて収録
インタビューアー 山内 森田

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