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第3回教員インタビューは技術部WG教員代表の中尾先生に依頼しました。先生はこの3月まで工学系研究科総合研究機構長の任についておりましたが、本来は産業機械工学専攻に所属しています。技術職員の問題に関しては、総合研究機構長としては当然ながら、機械系3専攻の試作室や学生実験担当教官を歴任し、大きな成果を上げております。技術部WGの教員代表として最もふさわしい教員のお一人です。今回のインタビューでは先生の経歴から、先生のかねてからの持論である「技術職員は学生実験を担当して欲しい」という話題まで、技術職員にとっては大変興味深いインタビューになりました。是非多くの方にお読みいただきたいと思います。インタビュー内容に対するご意見ご感想、中尾教授への質問などありましたら、技術部広報委員会までお寄せください。
注)写真は一部を除き本文とは関係のないイメージ写真です。
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生まれは東京都町田市です。小学校4年生の時に世田谷区の二子玉川に引っ越してきました。今は住宅街ですが、高島屋ができるまでは田んぼもたくさんありました。多摩川もきれいになってきた頃で、都会の割には自然が残っているところで育ちました。高校は学芸大附属高校に進みました。高校と大学では部活でフィールドホッケーをやりました。サッカーと同じように11人でやるスポーツですが、その後、ルール改正でオフサイドがなくなり、今とは作戦面で大きく変わっていました。当時、東大チームは一部でしたがあまり強くなかったので、守って失点を防ぎ、反転速攻を狙うチームを目指していました。ポジションがマークマンのディフェンスだったので、最初から最後まで守りっぱなしという試合だらけでした。それで体力に自信がついたので戸田のマラソン大会に出ました。ご存知のようにこの大会は山を上っては下りますが、前半は優勝するんじゃないかと思うくらいに調子が良かったんです。でも後半の下りになったら膝が笑ってきて、そうなるとあとは修行です。へとへとになりながら何とか完走することができました。 かっこ良い思い出は少ないのですが、走りきることと耐えることを学びました。
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趣味は鉄道模型です。まだ完成していないのですが、家の納戸に中量棚をいれて、その上にHOゲージのレイアウトを作りました。鉄道模型の仲間内では、レイアウトは40歳までに線路を敷かないと一生持てないという法則があります。それで家族の反対を乗り越えて何とか線路敷設を実現させました。昔は半田ごてを使って車輌を自作していましたが、今は作っている暇がありません。コレクションに走るほどお金もないので、木や家を買ってきてレイアウトを楽しんでいます。最近は、下の子供と一緒に、どうやってポケモンの対戦カードやドラエモンの日本旅行ゲームで勝つか、最適解を目指して工夫するのが楽しみですね。
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大学院で鋳造の研究をやっていたので、日立金属に就職しました。最初の勤務先は熊谷で、親元を離れて独身寮暮らしを始めました。熊谷は大変暑いところで夜、眠れないんですね。温度を測ったら午前2時にならないと下がってこない。でも2部屋で20Aと電気容量が足りなくてクーラーが使えないんです。それで電気容量を増やすことを要求しました。また、残業者の夕食のために冷蔵庫の設置も要求し、これは実現してもらいました。当然のことをしただけと本人は信じていましたが、担当者には大分嫌われてしまいした。会社では磁気ディスクの開発を担当していましたが、マーケットでは後発組だったので、マーケティング的にも技術的にも追いつくためにいろいろやりました。最終的にはアメリカの会社を買収して、そこに派遣されました。その会社は小さかったのですが優秀な人がたくさんいました。だけど私がいた頃は赤字続きで、取引先もこちらもいつ倒産するか分かりません。キャシュ・オン・デリバリーと言う、手形なしでいつもニコニコ現金払いで取引していましたが、大変シビアな状況でした。幸いに私が退社した後、業績は順調になり、ナスダックに上場できました。
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会社には9年間いましたが、「失敗学」で有名になった畑村先生に大学に戻らないかと誘われました。東大に戻ってから、もう13年が経ちました。学科としてはエンジニアの実務経験者が一人くらいはいても良いかなということだったのでしょうね。論文博士で33歳のときに博士(工学)を取得して、やっと助教授として戻れました。そして、転職してから企画の考え方が180度変わりました。企業では冒険はできないんです。失敗しないように倒産しないように、多くの利益をいかに早く出すかを考えます。つまりディフェンス的なんですね。大学に戻って最初に科研費の申請書を書いて畑村教授に見せたら「全く夢がない、面白くもおかしくもない」と言われてしまいました。つまり大学はオフェンス的なのです。何をやってもいいから何かで世界で一番を目指すという業界なのです。失敗したって失うものは何もない状態で、夢に投資してもらうのです。投資してもらった後、研究の成果が評価されますから、センターフォワードだけが脚光を浴びます。一方で毎年、同じ教育を繰り返したり、またこれらの研究基盤を維持したりするディフェンス的な仕事は評価が低くなりがちです。そしてどうしても士気も上がらない。そこが今の大学の問題のひとつだと思います。私は企業では工場のオペレーションの仕事に就いて、いかに良品の歩留りを高くするか、いかに機械が止まるダウンタイムを少なくするか、いかに安全対策で事故を防ぐかを徹底的にやりました。それと比べると大学は効率や安全で随分見劣りすると思います。ただディフェンスに気を使いすぎると、研究のような新しいことが出来なくなってしまうので、基準を適切に設定する必要があると思います。
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大学の技術職員との関わりですが、機械系工作室が廃止されそうになったとき、たった一人残った技術職員の中根さんと協力して、学生の教育・実習施設として再構築したことが一番印象深いですね。機械系工作室の機械類を、安全講習および作業実習を受ければ誰でも学生でさえ単独で使えるような体制に作り変えました。もちろん助手の蓮池さんや西保木さんをはじめとするスタッフの方々にも協力してもらいました。おかげで今の機械系の学生は、旋盤やフライス盤を使ってどんどんと金属加工ができるようになりました。演習でも画一的なものを作らせる課題ではなく、グループごとに自分たちの発想でスターリングエンジンやロボットを作らせています。ですから作るものも失敗するところや部品もグループごとに違います。それらは創造性や設計能力の向上については非常に効果が高いのですが、同時に大変手間がかかります。この教育を技術職員の方と力を合わせてもっと大規模にやれたら、大学にとっても技術職員にとっても一番良いのかなと考えています。
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技術職員の人たちのミッションは、多くの人の場合、採用された時と現在とではかなりかけ離れてきていると思います。その変化についていけないと1日8時間週5日分の仕事がなくなって来ます。学生の手前、ブラブラしている訳にもいかない。でも何かやろうとしても、職制上の制限があるから勝手に好きなことをやる訳にもいかない。とても苦しい立場だと思います。そしてそれが放置されてきたのが一番の問題です。それは技術職員が悪いのではなく、管理側の問題だと思います。たとえば研究室で会計をする人がいないからといっても、事務は技術職員のすべき仕事ではないと思います。そういう仕事を受動的にやらされるのではなく、専門的で技術的な仕事を積極的に請け負う体制にしなければいけないと思います。私のひとつの希望ですが、主体的に教育に携わっていただきたいと常々思っています。教育は学生一人一人に合わせなければならないので、マニュアルに頼ったり外部に委託する訳にはいきません。マニュアルで常に同じように対応出来るような仕事は極力外部に委託した方が安く早くすむと思います。常勤の職員は、ケースバイケースで予め対策が想定できず、外注出来ない仕事を担当しなければ、存在意義が薄れていくと思います。日々成長する学生たちを、教育面で個々にサポートすることに、自分たちの喜びや生き甲斐を、見出していただけたらと考えています。また安全管理面に関しても、企業と比べれば今の大学は対応しきれていません。技術職員が必要な専門資格を取って、責任を持って専攻や研究科を指導するような立場になっていただきたいと思います。
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技術部WGがスタートしました。私は、技術職員が生きがいと責任を持って仕事を請け負えることが必要だ、と思って委員を引き受けました。それを実行するには講座に所属している技術職員でも講座の外に出て、週に何日かは研究科や専攻の共通の仕事をやるような体制が必要です。そのためには講座の長である先生方にもそれを認めてもらわなければなりません。大学は大きな組織なのでこのような変化を実現するためには、強い意志と実行力がないと動きません。平尾研究科長や田中副研究科長が研究科の改革を推進しておられる今が良いタイミングだと思います。今の制度に安住しているのならばそれはそれで良いですが、世の中は動いています。「技術職員は何の仕事をどの位やっているんですか。」と問われる時が必ず来ます。その時に週5日分の仕事を、証拠を揃えて説明が出来なければ税金泥棒と言われかねません。仮に東京大学の運営費が足りなくなって人員を減らさなければならなくなったとしましょう。あなたなら誰を減らしますか。教員は一番の高給取りなので、論文を書かない教員はもちろん対象のひとつです。でもそれは既に実行されています。それでも足りなければ誰を減らしますか。事務も今、必死に改革に取り組んでいます。厳しい外部評価とコスト競争にさらされた時、どうしても必要だと説明できなければ、技術職員も減員の対象にならざるを得ないでしょう。JRやJT、NTTを見ている限り、民営化に近づけばそうなるのが自然でしょう。そこで、そうならないためにどうするかを考えなければなりません。教員ならば論文や本を書きましたとか、特許やベンチャ製品を出しましたとかが証拠です。同様に、技術職員も外部評価されることを見越して、自分の仕事に対して証拠をそろえ、さらにそれを武器にして主体的に予算を獲得できるような体制を整えておかねばなりません。学生実験、創造設計演習、安全管理、建物管理、設備メンテナンス、ネットワーク管理、依頼分析、特殊装置試作、などがその仕事の例ではないでしょうか。プロの仕事として、教育や学科から請負の対価を得るべきであり、責任と引き換えに、自分の仕事として評価対象にしてもらうべきです。その体制を整えるのは長である教員の管理責任でもあります。教員も含めて技術職員の職場を活性化する問題に取り組まなければなりません。
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機械系ではカリキュラムの改善を目的として、学部3年生に対して、機械系に進学した理由と授業の理解度を調べるアンケートを取りました。アンケート調査と結果の公表には多少の抵抗感もありましたが、個人の責任を追求するのが目的ではないことを説明して実施しました。結果的に学生の志向や、機械系の特徴と問題点が明らかになり、改善の方向性を皆が納得する形で提示できるようになりました。同様に技術職員についても全体の状況を把握して検討を進めるべきだと思います。そのために第一回WGでアンケートを取ることを決めていただきました。今後はアンケート結果を含め客観的なデータをもとに議論したいと思います。会社でオペレーションマネージャをやっていたときのことですが、不良品が出たときは、「不良を出したオペレータが悪いんじゃない。マニュアルやシステムに問題があるんだ。」と繰り返し述べてきました。仕事を憎んで人を憎まずです。失敗したときに、誰かの責任にしようとするから正確な原因追求ができない。真の原因が取り除けないからまた不良品が出る。マネージャとしてはそれでは困るわけです。同様に今回のアンケートも、誰が悪い彼が悪いという議論や責任追及が目的ではありません。そんな議論は意味がありません。より良い技術職員のあり方を検討するための基礎データが必要なのです。正確なデータをもとに正しい方向性を出したいと思いますので、今後のアンケート調査に積極的に協力していただきたいと思います。
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ホームページをアクティブにするために、技術職員の中から自分たちのミッションを考えてもらったり、自分に何が出来るかを書いてもらう場を立ち上げてはいかがでしょうか。たとえば技術職員の中で自分専用のPCを持っていない人がいるのなら、それを解決するキャンペーンをホームページ上で行うべきです。または、研究科の中で、危険だと思われる場所をデジカメで撮って投稿してもらい、技術士に評価してもらったり自分で改善したらどうでしょうか。やれることはたくさんあると思いますので頑張ってください。
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インタビュアー感想
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- 私は先生と所属専攻が同じということもあって、何でも正直に話してくださる気さくで豪快なお人柄は存じておりました。今回のインタビューでは、いつもより少し抑え気味でしたが、同席した先生とは初対面のインタビュアーにも、先生の個性は充分伝わったと思います。記事では先生の真意を正確にお伝えするため、意訳した部分もありますが、そのあたりを行間から読み取っていただき、今後の議論につなげていただきたいと思います。
- 中尾先生に私は今回はじめてお会いしたが、自論を強くお持ちの先生のように感じた。
技術職員についての発言では実態を把握した上での発言があり、納得せざるを得ないこともあった。少々強引な印象も受けたが、技術職員自らがテクニシャンとして自立できるようになるべきだ、という点には基本的には賛成である。
今後より良い技術部をまとめるに際して、技術職員の思いを十分反映する方向でその手腕を発揮していただければと思った。
- 専攻の異なる先生と直接交流を持つのは初めてのことだったので、初めはどうなるのだろうと不安だった。インタビューをきいていて、個人的には機械系の技術職員の方で、木工で家具をつくる技術の巧みな方がいらっしゃることを伺って興味をもった。また中尾先生が、少し前のことになるが、一ミリの住宅をナノテクノロジーで完成させた研究室の先生であったことがインタビューの後でわかり(『GA JAPAN 47』p.4)、自分にとっても専門的知識の拡大につながったことがよかった。インタビューがはじまるのを待っているあいだ、待合室の棚に「床の間のはなし」という本が置いてあることを不思議に感じたが、インタビューの後はそのことも納得して(?)帰路についた。(研究と関係あるのかどうかは不明です。)
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2005年4月15日 中尾教授室にて収録 |
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インタビューアー 山内, 川手, 加藤 |
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